奈良市の餅飯殿町はむかし、蕗の畑郷(ふきのはたごう)と呼ばれた処でした、
今より千数百年前(天武天皇元年672年頃)、役の行者(えんのぎょうじゃー飛鳥時代から奈良時代に生きた呪術者で、修験道の開祖)が大峯山での修験道場を開山されて以降二百年ほどの間に荒廃し、また大蛇がでて住人達を困らせていたそうです、
貞観十年(868年)東大寺で修学中の聖宝理源大師(しょうぼうりげんたいしー上醍醐寺を開創)が、 大峯山の修験道を再興せよとの勅命(ちょく めいー天皇の命令)を受けた時、
当町住民の武勇の誉れ高い、指物師の箱屋勘兵衛(民間人として初めて峯入りした人物でのちに大先達となる)が餅飯(餅や干し飯などの携帯食料)を作って御伴し、ついに修験道の再興を成就された後も、修験道の整備のため峯入りされていました。
箱屋勘兵衛はたびたび大師の大好きな餅や飯などを携えて大峯に会いに行ったようで理源大師は、たわむれに勘兵衛を、餅飯の殿と呼んだそうです、それにより現在の町名、餅飯殿町になったと伝えられています。
フェイスブック友達より引用しちゃいました。勿論許可とりますよ、これから